序 章


(一)浄土真宗という仏教は親鸞に始まるという見解は、一般的常識としてあるわけだが、真宗学的思想のところで見れば、法然の思想に原点があるとも、また浄土教諸師を遡るとも言われることであろう。しかし、今ここで述べようとしているのは、そういう学的論考を組み立てようとしているのではなく、平安時代末期から鎌倉時代において浄土真宗という仏教が花開いたという事実によって、その時代に何が必要とされて浄土真宗は生まれてきたのかということが私の初めの疑問からなのだ。だから、そのことを思案していくことによって、二十一世紀の現代に浄土真宗は何を答えるのか、あるいは何を答えて行かなければならないのか、ということを明らかにしたい、というのが第二の課題でありこの趣旨である。ここに「浄土真宗の現代社会的私考」と名付けた意図がある。
 こういう趣旨を立てた契機は、私自身が浄土真宗の教えに触れていくにつれて、そしていろんな人々(諸師)に出会ってきたことによって、浄土真宗をこのままにしておいてはならない、現代に浄土真宗を開示していかなければならないという想いが膨らみ続けながらも、どのように開示していくのかをあぐねいていた。そんなとき「ゲオルク・ジンメル」が目にとまった。私は、ジンメルに親鸞と似た匂いを感じ、親鸞が現代に存在したならばジンメルのような人になっていたのではないかという直感めいた思いを抱いた。それが私を駆り立てた理由である。それは思想的な共通性があるというわけでもないし、また関連付けるだけの確かな構想もあるわけではない。ただ同じ匂いに酔いしれたお茶目な好奇心から始まったものでしかないのが正直なところである。
 勿論、ジンメルを深く学んでいるわけでもなく、彼との雰囲気の共通性だけで、親鸞を語ろうとするものでは決してないし、それはむしろ無謀というものである。だけど人間の行動なんてものは、大げさな理由など必要ないと思っている。ちょっとした〝はずみ〟があればそれで十分であろう。
 ただ一つ言えることは、社会の諸問題に対するジンメルの視点や感覚などは、現代に親鸞を語る発想のヒントがあるように感じてならなかった。ただそれだけだった。私をして最初の一歩を踏み出させる促しはそれで十分だったのである。【補1】
 (二)まず、話を進めていく上で、初めにいくつかの確認点を示しておかなければならないことがある。なぜならば、平安時代という十一世紀の社会と現代という二十一世紀とは全く違う時代であり、それぞれの時代の要求は異なっているから関係付けるのは無意味である、という意見に対して、答えておかなければならない事があるからだ。
 すなわちその第一点は、人間の社会は時間の流れにおいて歴史的思想は断片に存続しているのではなく、変化しながらも継続的であることを確認しておかなければ、この趣旨による論説は始まっては行かない。そのことについては、全く埋もれてしまった古代遺跡でない限り何らかの影響を受けているはずである。それが次の世代に肯定であろうと否定であろうとも歴史が途切れていない限り、思想もまた賛否両論的に引きずられていっていることは言うまでもない。
 それから次に、そのことについてどのように論じていくのか、という方法論の問題が残る。我々が古典の論書が読みにくいのはそういう問題があるからだ。換言すれば、現代人に説明するには、現代人の土俵の上で説明していくしか方法はないということである。その土俵は、時代や国家あるいは民族によってそれぞれに異なっている。それは文化の違いであるとも言えるかもしれない。私にとってみれば、仏教こそ真実であり仏教を尺度としてものを考えていきたい所ではあるが、残念ながら現代人にはそれは認められず、いわゆる科学的といわれる近代の原理に基づいた思考方法しか手はないのだろう。これは、コペルニクスを分岐点として、それ以降の時代社会は、自然科学ばかりではなく社会科学や思想においても科学的思考の発展を遂げていることは言うまでもないことであり、この近代科学的原理の土俵は、地球的レベルまで広がっていることは言うまでもなく明らかである。だからといって科学が万能であるという事を言うつもりはないし、勿論科学用語的に表現した内容がそのまま仏教であるということでもない。ただ現代の人々に理解あるいはイメージしていただきたいと願ってこういう方法をとろうとしているだけのことである。
 また逆に言えば、親鸞時代においては親鸞時代の土俵があった訳であり、科学にそぐわないから誤謬であるという発想は、一方的でありそれこそ科学的ではない。親鸞自身の思考も同様の意味で当時の学問的土俵で論じていこうとしていたのは当然のことである。また親鸞よりもっと時代を遡った中国の論書なども、その当時の論議の仕方で論じられていることも当然の事である。
 第二点は、親鸞時代と現代という時代と何をもって関係するといえるのか。そして、その関係は、現代に啓蒙できる内容なのか。その関係性は同一的関係なのか、あるいは派生的に関係しているのか、というようなことを明確にしておく必要がある。
 しかしこれについては、現代と関係する時代は親鸞の時代でなければならない、という理由は全くない。どの時代から啓蒙してもいっこうにかまわないのである。であるから、ここで確認しようとしているのは、時代がつながっていると言うだけである。それを殊に平安末期といわずに親鸞時代と言っているのは、その時代に生きた親鸞の生き様を通して現代に警告したいという筆者の意図があって、そういう表現をしていると了解しておいていただきたい。
 したがって、上記の二点について、私たちの思考する土俵を明らかにしていくために、二つの節を立てて述べていきたい。その一つは時間論である。すべての存在や現象を認識するためには時間をはずせない。そしてその存在や現象に、それを認識する〝われ〟を含めるとき時代となる。時間論と時代論というこの二つはどちらも時間論ではあるが、それに対する私の私考は、認識する〝自分〟をどこにおいて思考するのか、という課題なのである。この問題はいま解決すべき問題という意味ではなく、常に自分は主体的なのか、それとも客観的あるいは傍観的なのかという自分の姿勢を確かめるべき問題という意味なのである。したがって、今時間論を述べることは認識論的意味においての時間論であることは言うまでもない。