第二章 黎明の教学 −『教行信証』−

第二節 他力真宗の現象学(真実行)

第一項 回向の交差
 次に、ベクトルが交わるということにおいて、どういう現象が引き起こってくるか、ということをもう少し別の面から示しておかなければならない。互いに方向の違うベクトルが交差するとき、互いに方向を同じくして通りすぎるのであるならば、交差とはいえない。ベクトルが交わるということは、二つのベクトルが和合して一つの新たなベクトルに生まれ変わるということだ。それは、既に述べた通りである。つまりそのことは、これまでの人生のベクトルが他のベクトルと交差する時、二次元的場が生まれる。その場を了解することによって新たな方向のベクトルが見いだされるということを意味しているのである。
 その新たなベクトルは〝西方浄土″である。この〝西〟という方向は方角ではない。一つの方向という意味である。すなわち方向が定まるということを西と言った。西は経験的に人間の帰着する場所だ。それは一日を太陽とともに過ごし、そして太陽が帰着する処なのだ。自然とともに生活を営んできた祖先たちは、そう思ったに違いない。したがって新たなベクトルの指し示す方向というのは、人間の帰着点の方向なのである。そういう意味では〝西〟というのは帰着する方向の代名詞に他ならない。
 浄土というのは、空間的にイメージするのは、間違いなのかもしれない。かつて日本のある地域を東海道とか北海道と〝道″で呼んだことはとてもおもしろい。その表現は空間的な地名を〝道″という方向性を示すあるいは経過を示す表現を使っているのだ。浄土も同じように国土であってもベクトルを持つ〝道″なのだろう。我々が浄土に往生するというのは、自らの存在場を獲得することであり、そのことはとりもなおさず歩みのベクトルを定めることに他ならないのだ。
 しからば、〝西方″というベクトルを持った存在場に立った時、どういう行動がとられていくのか。その行動原理を探ってみていこう。
 『教行信証』には「大行とはすなわち無碍光如来の名を称するなり」とある。仏教では「行」というのはいうまでもなく行動原理に他ならない。なぜならば、「行」の表現は行動内容が述べられているが、それが単に規則のように述べられるだけであれば「行」にはならない。「行」によって必ず証(望むべき結果)が生じなければ、「行」とは言えないのである。それは、一つの行動を〝因″としてその結果として〝果″を生む因果の法則に則って成り立っているのかどうか、という事が一つの原則だ。すなわち行と証の関係は因果の法則に則っていなければ、その意味がない。したがって、これは因から果へと向いているベクトルに他ならないのだ。
 故に親鸞はこれを「最勝真妙の正業」と押さえられる。つまり業ということは行動だ。行動原理ではなく原理としての行動である。ここに〝名の持つはたらき〟と〝称する事のはたらき〟との同一性を示している。原理は原理のままであったなら原理の意味をなさない。行動はただ行動していたのでは、うごめいているだけにすぎず業にはならない。原理と行動は共に和合して初めて互いに成立するのである。
 言うなれば、無碍光如来の名において救済の原理を示し、称するという行動において自覚を示してくるのである。これはすなわち自覚という往相ベクトルと救済という還相ベクトルとの融合に他ならない。それが〝南無阿弥陀仏″という名号である。この名号が救済の原理と行動をあらわす。この原理と行動は表現を変えれば、存在と用きだ。
 これをより理解しやすいように譬えてみるならば、〝南無阿弥陀仏″というのは〝雨″に譬えられる。〝雨″とは何か。〝雨″という名はあるが雨そのものは存在しない。存在するのは〝水″である。しかしながら〝水″は〝雨″ではない。〝雨″は水が雨としてはたらいたとき〝雨″と呼ぶ。水が小粒になって空から降ってくることによって地を濡らし草木に命を与える。また空気を冷やし清涼感を与えてくれる。水そのものはそういう内容を持ってはいるが働かない。それと同じように存在するのは阿弥陀仏であるが、そのはたらきを〝南無阿弥陀仏″ということなのである。
 ところで、ここでいわれる〝大行″という事について考えるに、これも我々がとるべき行動ということか、我々の行動原理なのか、という課題が生じてくる。その課題をもっと具体的に言うなら、〝名を称する″のは誰なのかという問いになる。つまり〝我々が″称するのか、それとも普遍的に〝称する″ことに意味があるのか、という問題である。
 このことを考える上において、存在場に話を戻さなければならないだろう。先に往還の二回向によって存在場が与えられると述べてきたが、そのところで、その存在場の自覚が大切であることを指摘してきた。その自覚は認識によって自覚されるのであって、無認識の処に自覚はない。我々の認識作用は五感を通して意識に到達する事は言うまでもないことであるが、その認識は五感全部を使って認識することはまずない。どれかの感覚が欠けた状態で認識し、そこで判断の意思が加わって自覚するのである。鍾乳洞の水中に住む魚に目が退化している魚がいるように、別に完全五感が必要であるとは限らない。どれか一つでもあれば、自覚は成り立つ。
 今、〝名を称する″といった時、いうまでもなく、声である以上聴覚の処での認識である。その名の主である阿弥陀如来は光で表現されているように、視覚で認識される。そうなるとここにもう一つ問題が生まれてくる。それは、光と声という認識器官の相違をどう考えるか、ということだ。
 親鸞は同じく『行巻』で「名を称するに、能く衆生の一切の無明を破し、能く衆生の一切の志願を満てたもう」【出7】と述べられているが、この無明を破るのは、聴覚によるものよりも視覚による光の方ではないのか。この聴覚である称名が無明を破るという表現は、いったい何を言わんとしているのか。
 『総序』においては「無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」と述べられているのは、光と闇という視覚的感覚において破せられる事は言うまでもなく道理であろう。しかるに称名というのは現象的に音声という聴覚の範疇であるから視覚の闇は破れない。しかし闇は破れないが闇の中で聴覚的音声は認識することはできる。逆に、闇の中では視覚は全く働かない。ここに〝無明の闇″とは言わず〝無明を破する″と述べている理由があるのだろうか。
 もしそれならば〝無明〟と〝無明の闇″とはその意味に相違が出てくる。つまり無明それ自身は闇ではなく、その無明によって闇が生じてくる、という了解の仕方をしなければならなくなってくる。本来、無明とは迷いの根本であるから、無明が破られるということは迷いが破られる事を意味してくる。それはすなわち悟りだ。それは自覚の範疇だ。それに対して無明の闇というのは迷いによって引き起こってくる絶望であろうと考えられる。その絶望が破られるということは、救済の範疇だ。したがって光というのは救済の原理である。救済とは絶望を破ることであるから希望が生まれることを意味する。換言すれば志願が満たされることに他ならない。したがって、このことはただ名を称するということではなく、無碍光如来の名を称するところに意味があるのである。なぜなら名はそのものの存在を示すものだからだ。ここに自覚と救済が一つであることが示されているのだ。そして、無明の闇という現実的認識において救済が成り立つ原理といえば音声であるところの「称名」のみなのである。闇の中にいてそのほかの「行」はなんらその効果をもたらすことができない。称名という音声のみが「大行」であることの所以はここにあるのだ。
 そもそも現実は闇であるのかそれとも闇ではないのか。人類の発展歴史からいえば、現代は発明発見の頂点であり知的明るさの満ちた世界であるというであろう。しかし、自覚的自己認識においては(現在から過去を放出している時間のながれでいうならば)現在は無明である。そして過去になって初めてそれが明らかになってくる。仏教の末法史観に従えば過去から正法・像法・末法という見方をするが、末法の形相はまさに無明ではないのか。つまり、過去から現在という時間の流れでいうならば、〝明″から〝無明″へと移行してきていると言えるであろう。
 我々の日常はほとんどの場合予想どおりの事象であるが、現在に突然起こってくる想定外の事象もあるもので、そんな時はただ呆然とするだけである。そしてその事象が過去になるにつれて原因や要因が解明されていくという状況なのだ。このことからしても上記のことは容易に理解できるであろう。
 したがってこの現在は闇であることを示してくるのは、音声なのである。音声を「行」にすることによって現在が無明であることを知らしめる。音声は闇は破れないが、その闇の中にあって響き渡る。よってその闇を闇だと気づいていない者に対して知らしめる働きが音声なのである。ゆえに、無明が無明であることに気づくことが「無明を破す」と述べられている意味なのではないかと了解される。無明の中にいて無明を知らないものは、その中にいて夢や幻想を見ているのと同じである。その夢や幻想を実際と思い込み、そこに映し出された幻影に自らの身を託す。しかしそれは実あるものではない。そのことを親鸞は「行証久しく廃れ」と表現されているのではないか。〝行″として立てたとしても証することはないと示す。それは末法の現実を実感しているからなのだ。
第二項 念仏への疑念
 親鸞時代、すでに念仏の行はあった。念仏をもって浄土に生まれようとする人々も少なからずいた。また財力のあるものはその功徳を積んで浄土に生まれようとした。あるいは、念仏をもって自らの罪障を払おうとしたり自らの幸福を祈願したりするものもいた。当時の僧侶の中には、念仏を魔事呪文のごとくして至福を肥やす者もいたであろう。
 このような当時の念仏に対するあり方には、親鸞は到底納得の出来るはずもなかったであろう。親鸞にとって、念仏とは仏と仏とが相念じ合う事柄、如來と如来とが出会う場を意味していた。しかしながら現実はそうではなかったのだ。その人たちは「穢を捨て淨を欣い、行に迷い信に惑い、心昏く識寡く、悪重く障多き」者たちであった。〝穢を捨て淨を欣う″精神構造が当に〝世間″そのものにほかならなかった。これを一見「厭離穢土、欣求浄土」と思ってしまうが、そうではない。これはこの世の事象に穢と浄の概念を植え付け、自分の周りの人々を〝穢″として捨ててきた差別的精神構造を意味していると思うのだ。そうでなければ、何をもって穢とし何をもって浄とするのか。その定義さえ見いだせない。
 親鸞は、『十住毘婆沙論』にめぐりあう。「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく、この二法よりもろもろの如來を生ず。この中に般舟三昧を父とす、また大悲を母とす。」【出8】と。
 これには大変驚かれたに違いない。これまで〝初めに如来ありき″で考えてきたのだが、如來を生み出す根源が、念仏と大悲だったのか、と。これを言い換えれば、念仏だけでは如來は生まれてはこないのだ。この念仏の道がいつの日にか大悲と相交わったとき如来が誕生する、という意味を示唆しているのだろう。
 そして、それを家とする時「世間道を転じて出世上道に入るもの」であると示される。この一文は、やがておおきな意味を持ってくる。というのは、我ら念仏の道は「在家仏教」と言われ、あたかも「世間道を歩む者」と考えられているからである。そして真俗二諦論から王法と仏法を両輪のごとくに歩む道としてゆがめられていった歴史も、その影響を今にのこしているからである。(ここに「出世上道」とあるが、出世間道とどう違うのか。それは出世間をもう一つ越えた道を言い表しているのではなかろうか。)
 もう一度繰り返して言おう、念仏門は世間道を転じて出世上道に入ることを。また、王法を転じて仏法をも転じ真の仏道にいることを道とするのだ、と。それを「歓喜地と名づく」と。
第三項 歓喜の意味
それではなぜ〝歓喜″なのか。それは我々の感覚でいえば好感や快感などを指すが、その世間を越える出世間をも超えた中での〝歓喜″の感覚とはどういうものであろうか。そしてそれが大乗仏道の第一歩に位置付けられているのはなぜか。
 M.チクセントミハイの提唱する「フロー」の概念による最適経験の理論に尋ねてみると、仏教にいわれる「歓喜地」を重要視する概念と類似するような事柄が述べられている。また苫米地英人は「人間の脳はマイナスの出来事を記憶していくようにつくられている」【補4】ともいわれる。その理由は、また同じような出来事が起きそうな時、自分の生命を守るための資料として記憶に止めておく必要があるからだと言われる。これも人間の能力のひとつであろう。それが故に、またイヤな記憶が蘇ってしまうのも事実である。そのイヤな記憶によって苦しみが起こってくる。
 仏教に「一切皆苦」というテーゼがある。前記の認知科学の分野で言われてくる事から見れば、記憶の蓄積において一切皆苦というのも頷けるであろう。しかし、この苦から解脱していくという仏教の道がその次に求められていく。その第一歩が歓喜地とされている。それを譬えて「無始生死の苦においては二三の水のごとし。滅すべきところの苦は大海の水のごとし。このゆえにこの地を名づけて歓喜とす。」と言われている。いわば、〝苦″が無限にあるから歓喜なのだ、と言っている。これは脳科学分野からみても至って興味深い事柄ではないかと思われる。
 また、脳科学において、苦しみや不安や怒りなど、いわゆるネガティブな状況だとコルチゾールという「ストレス物質」が分泌され、逆に喜びや楽しさなどのポジティブな状況だとオキシトシンやベーターエンドルフィンなど「脳内快感物質」が分泌され肉体的にも活性化されることが知られている【参7】。そのことからも人類の生き方に一つの示唆が与えられよう。  そういう意味においても、「喜び・楽しさ」ということが我々の活動のスタート地点であることは自然なことではある。しかし、仏教の〝歓喜″は単純に我々の欲求を満たした時の喜びや楽しさと同等に了解してはならない。なぜなら、それは世間道を転じたところに起こる〝歓喜″であるからだ。そして『十住毘婆沙論』は、上記のとおり「滅すべきところの苦」が無限にあるから歓喜なのだと説く。ただ〝苦″であれば〝歓喜″とは相いれない。しかし「滅すべきところの苦」ということになれば内容は変わってくる。自ら歩むべき目標になってくる。すなわち苦そのものがあゆむべき方向性を示してきているのだ。これが世間道を転じて出世上道に入る、ということなのだろう。したがってこの歓喜は自分の道が明確になったことの喜びに他ならない。これを〝発心″というのだろう。喜びもなく苦痛だけであったら、自ら〝発する″心は生まれるはずもない。
 『教行信証』には「真実の行信を獲れば、心に歡喜多きが故に、これを歓喜地と名づく」【出9】と述べられる。この「地」とは何か。仏教では菩薩の修行のステージを表す語だが、それは同じレベルに他者もいることを意味する。すなわち〝歓喜多き″の根拠は他者との出会いにあるのだ。一人だけの喜びではない。他者との出会いということは、この我が身を摂取して絶対見捨てない他者に巡り遇うのだ。救済の原理は〝見捨てない″というところにある。まさに阿弥陀仏と名付けさせていただきたいといえるような他者に出会うことによって立ち上がるのだ。立ち上がる力が湧いてくるのだ。
 そういう意味において「歓喜」は力である。しかも出そうとして出るような力ではない。自ずと湧き出る力なのである。これを「他力」という。自分の上に湧いてくる力をなぜ「自力」とは言わないのか、というに、「因縁和合」して生じてくる力だからである。「因縁和合」とは出会いのことだ。だからそれは自己の力ではない。「因縁和合」の出会いは「報土の真身」をあかすのだ。「報土の真身」との出会いによって力がみなぎってくる。その因縁和合の中心になるものは〝信心の業識″である。業識とは行動である。故に信心の業識というのは真実信心が働く行である。これを「真実の行信」と述べられているのである。行と信は別々ではあるがその働きとして和合するのである。これを内因とする。又光明と名号和合して外縁とする。そしてこの内因と外縁が和合する、ということは、一つに重なることを意味する。そうでなければ和合とは言えないであろう。和合とは、これまで述べてきたように、如来と〝われ″のベクトルの交差に他ならないのだ。和合と混合とでは意味が違うことを認識しておくべきであろう。
第四項 他力の義
 前項において、「真実の行信を獲れば・・・歓喜地に到る」と言うことを展開してきた。ところがその文面の続きに、このように述べられている。

いかにいわんや、十方の群生海、この行信に帰命すれば摂取して捨てたまわず。かるがゆえに阿弥陀と名づけたてまつると。これを他力と曰う。【出10】


 ここに、行信を獲るのと行信に帰命するのと二つが述べられている事になる。その前者は初果の聖者に喩えられ、後者は十方の群生海を指している。この事は〝真実の行信を獲れずとも″という内容を暗示しているのではないか。〝獲れずとも帰命するならば″ということである。とするならば、この獲得と帰命の相違をここで明らかにしておかなければならない。
 話は『行巻』の最初に戻るが、この文頭に

謹んで往相の回向を案ずるに大行あり、大信あり【出11】


と書き出されている。しかもその後「真実の行信」と言われ、あるいは「往相廻向の行信」と行と信とを一つにして述べられている。それは、往相回向についていえば真実の教行信証がある、というところから始まってくる訳であるが、ここに来て〝真実の行信″と言われ、『証巻』においては「往相廻向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数にいる」【出12】というように、〝心行″と述べられている。
 これらを考えるに、ここに〝われ″の存在と時間的経過を持ってこなければ理解できないのではないか、と思われる。すなわち、第一前提として〝われ″の往相廻向というベクトルは「行信獲得」という方向を持っている事。そして次に、その時間の経過は、「獲得ならず」に到る。それではどうすればいいか。その行信に帰命すればいい、と。それはなぜか。それは我々の往相廻向の行信というのは、如来の還相回向に裏打ちされた往相廻向だからである。(それをベクトルの交差と述べてきた。)だから「不回向」なのだ。それでは我々は何もしないでいいのかというとそうではない。存在している以上、少なくとも方向だけは明らかにしておかなければならないだろう。そういう意味においては回向なのだ。「不回向」の回向なのだ。それはどういう事かといえば、その回向である往相回向の行信をいただくこと以外にはない。それを「帰命する」ということで示されていると思うのである。
 次に『証巻』の「往相廻向の心行」も検討しておかなければならない。ここの問題点は〝信″が〝心″に置き換わったことだ。なぜ置き換えられたのか。それは「一心」というところにある。「信」というのは如来の信だ。いうなれば至心・信楽・欲生の三信である。その如来の信が我々に回向される形が一心である。随って我々の往相廻向は、結果的に〝心〟になる。
 それでは、『証巻』において、〝行心″ではなく〝心行″と逆になっているのか、と言えば「専心専念」のことであろう。これについて『行巻』においてのべられていることは、専心とは一心、専念とは一行の事であるから〝一心一行″となり、「心行」という配列となってくる。これはすなわち〝弥勒付属の一念″を示している訳である。この〝弥勒付属の一念″の南無阿弥陀仏は、「すなわち無明の闇を破し、速やかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す、普賢の徳に遵うなり。知るべし、と。」と述べられていることからすれば、まさに『証巻』の内容になってくる。
 したがって、『行巻』の中に既に『証巻』の内容が内在されていることになっているのである。この事は何を意味しているかと言えば、先ほど述べた「如来の還相廻向に裏打ちされた」ということを明確にするために、〝他力の義〟は説かれていくのである。
 さて、この〝他〟の言葉が述べられてくるのは、前記のごとく「阿弥陀仏と名づけたてまつる」というそのことを「他力と曰う」ということだった。阿弥陀仏と名づけるということは、何も我々が名づけるわけではなく、阿弥陀仏が現前したという意味なのだろう。そしてそれを〝他力という″ということは、他力というかたちで現前した阿弥陀仏に出会ったということだろうと考えられるわけである。したがって、「他力と言うは、如来の本願力なり。」と、本願力という形で如来にであったのである。  それに続いて〝自利利他″の事柄が『論註』の引文として展開されていく。そしてついには〝他利利他″の論議へと導かれて行くのである。この論議は要するところ、仏から見るか衆生から見るかの相違点だけである。しかしそれは、この単純な相違点だけの問題ではなく、これには深い内容が潜んでいる。
 第一親鸞が、一つの事柄を仏と衆生の二者の方向から見ているということは、これまで述べてきたベクトルの交差に他ならないし、それが出会いそのものである事を意味しているといえよう。そのことは、衆生から言えば〝他利″である、と。いうなれば〝他(如来)″が(われを)利する、ということになる。それはどういう形で利するのか、というならば〝力″と言う形で利するのである。〝利″と言うときには利益のことである。そうすると、同文中に「いま将に仏力を談ぜんとす」と述べられていることからすれば、仏からいえば、本願力であり、衆生からいえば、他利すなわち他力なのである。力を賜るということが衆生にとっての利益なのである。
 よって、他力とは利益された自力なのである。利益された以上、〝わが力″と感じるのは当然のことであるが、それは錯覚なのだ。錯覚というのは、それがまるで本当のように見えるから錯覚というのである。真実は他力のみである。その錯覚が錯覚と頷けられるのは不思議に出会うしかない。蓮如が「不可思議の願力」と述べられているのは、そのことを指して言っているにちがいない。
第五項 第三極の世界 −本願一乗海−
 この『行巻』には比校対論が述べられている。これはその前で述べられている「本願一乗海」における教と機についての特質を明確にしようとしたものである。その表現は、教については「難易対、頓漸対、横竪対、超渉対、順逆対、大小対、・・・・」【出13】という風に相対応する両極的文字を並べて対論している。この対論は真逆にある文字のどちらかを決定する論なのだろうか。本文中には「・・・入定聚不入対、報化対あり。」と述べられる。つまり「そういう対論があるんだ」と言っている。そして「この義かくのごとし(ごもっともなことである)」と結ぶ。「教」というのはそのように対論してこそ人に教えられる。教えることは分析してこそ成り立つ。しかしどっちを選ぶか、となったら別だ。二つに分けたらどちらかを選ぶ、と言うことが前提にあることになる。そこにどうしても選ばなければならない意識が芽生える。それに対し、「しかるに」と。本願一乗海というのは、絶対不二の教であると言い切る。絶対不二というのは〝異にして分かつべからず、一にして同ずべからず″ということだ。どちらか一つと言うようには選ばないと言うことだ。言ってしまえば、相対する両極のどちらも受け入れるということになろう。
 これは矛盾ではないのか。たとえば〝難易対″で言えば、〝難であり易である″というのは矛盾であるようにしか考えられない。双方同時には成り立たないと思うのが我々の通念である。ところが、エマヌエル・カントが『純粋理性批判』において例示しているアンチノミー【補5】のように、そういう場合も成り立つことを哲学的に提唱される。これはあくまで認識論的範疇での了解であるから、上記のことは〝教え″を受ける人間側においての問題であることは言うまでもない。
 引き続いて親鸞は、機についても対論を続ける。〝機″とはその対象となる〝人″をさす。「機について対論するに、信疑対、善悪対、正邪対、是非対、・・・、明闇あり。」と提示し、「しかるに一乗海の機を案ずるに、金剛の信心は絶対不二の機なり。」と述べられる。機すなわち人間において不二であるところに信心がなりたつ。この絶対不二の認識(自覚)の世界観を本願一乗海と示してくる。
 およそ人間についてこれまでは、善人の者と悪人の者とに分けてそのどちらかに決定づけてきたのではないか。しかし一人の人間に善だけ、一人の人間に悪だけ存在しているということはあり得ないのであって、一人の人間に善と悪の要素が融合して存在していることは言うまでもないことである。ただその人間の外的様相に善がでているか悪が出ているかによって善人悪人の分別をしているにすぎない。しかも善悪の質が外的様相に出ているからと言って、善あるいは悪の質が多いとか重大であるという判断にはならない。
 仏教では人間の行為を身口意の三業であらわすが、心に思う事柄が身や口に現れるとされる。その時、ただ心に思っているだけと身口という表面の行為に出てきた事とどちらが重い業であるか。先に述べたように我々の分別というのは、表面に現れた行為を持って判断しているにすぎないのである。意業といわれる意識には別の本質が内在しているとも考えることができるならば、一人の人間を表面的形相だけで善人か悪人かを判別していくのは無謀であろう。
 親鸞は、そういう絶対不二の世界観を海にたとえて「願海は二乗雜善の中下の死骸を宿さず。いかにいわんや、人天の虚仮邪偽の善業、雑毒雑心の死骸を宿さんや。」【出14】と結ばれている。この意味は〝転ずる″ということだ。悪が善に転じられてくる事を海にたとえられた。転ずるということは、相対する二極に対して転じていく事のできる第三極の存在を意味する。それは「世間道を転じて出世上道に入る」という〝転″の原理にほかならないのだ。そしてそれはやがて『信巻』において〝無根の信″を提唱していく根拠となっていくのであろう。