皆龍寺について
寺院名
洞渓山皆龍寺
(所属:真宗大谷派 東北教区 山形第二組)
教義
本尊 阿彌陀如来
所依経 浄土三部経(大無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経)
所属僧侶
第17世住職 榊 法存(十六代住職法信の長男)
宗教法人皆龍寺代表役員(1997.12.13〜)
候補衆徒 榊 法盡(十七代住職法存の次男)
真宗大谷派東北教区広報部門委員(2022.7〜)
真宗大谷派山形地区児童教化連盟委員長(2024.7〜)
真宗大谷派山形教会HP担当(2023.7〜)
歴史
榊家は元美濃の国の小さな城の城主だったが織田信長に滅ばされ、その長男と数人の家来とでここまで逃げ延びて、富神山の麓にあった空き寺「五福院」に身を隠し長男は出家し僧侶となったのが始まりといわれている。後に、信長と石山本願寺の戦いが始まった時出羽の国から家来をつれてはせ参じ、南無阿弥陀仏のお名号をいただいてきたといわれている名号が残っている。やがて直江兼続軍が最上藩に攻め込んだ時、門伝の村焼き討ちになり「五福院」も消滅した。のちに寺院建立の計画、そして真言宗「五福院」から浄土真宗「皆龍寺」へと転宗し現在に至っている。
歴代住職 ()は命日
初代 法珎(萬治二年八月十一日)
皆龍寺の寺号を受ける
五福院の法塟坊と村山市河島金樹寺より来る妻との長男
二代 法伝(寛文二年八月二十六日)
法珎と東根長瀞より来る妻(釋尼妙慶)との長男
三代 法呑(天和二年五月二十八日)
法伝と村木沢等榮寺より来る妻(釋尼妙専)との長男
四代 法誌(貞享四年十一月十一日)
法呑の弟
五代 法教(元禄十一年六月十日)
法呑と山辺より来る妻(釋尼妙敬)との長男
六代 法山
法誌と山辺より来る妻(釋尼妙善)との長男
七代 法順(享保十五年一月十五日)
法山と村木沢等榮寺より来る妻(釋尼妙湲)との長男
八代 法谷(安永七年六月十日)
法順の弟
九代 法雨(享和三年八月一日)
法谷と沼木福泉寺より来る妻(釋尼妙皆)との長男
十代 法隆(寛政十年十月二十三日)
法雨と山形善龍寺より来る妻(釋尼妙康)との長男
十一代 法寿(安政三年二月二十二日)
法隆と山形圓徳寺より来る妻(釋尼妙隆)との長男
十二代 法船(慶応元年十二月十六日)
法瑞と号する。法寿と村木沢等榮寺より来る妻(釋尼妙寿)との長男
十三代 法幢(明治二十三年七月二十七日)
法船と上山松平善右衛門家より来る妻(釋尼妙念)との長男
十四代 法憲(大正三年六月二十一日)
法幢と山形善龍寺より来る妻(釋貞明)との長男
十五代 精憲(昭和四十四年二月一日)
法憲と山形善龍寺より来る妻(釋得慶)との次男
十六代 法信(平成二十七年一月二十二日)
精憲と村山市河島金樹寺より来る妻(釋尼淨香)との長男
皆龍寺の場所
990−2342 山形市大字門伝100
山形市街地より西方面、柏倉と門伝をあわせて西山形とも呼ばれています。
北側の門の向かいの細い道を行くと駐車場がございます。もちろん門から入って、境内に停めていただいてもかまいません。
西北西の村木沢・長根地区に飛び地の皆龍寺墓地があります。
連絡先